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2004年02月08日

回想に起因する悲劇と、回想から始まる悲劇は違う。 〜ミスティック・リバー 雑感〜

 カテゴリー:劇場で観た映画

という訳で、ミスティック・リバー」観てきました。…個人的にこの映画と「スタンド・バイ・ミー」並べるのは激しく間違ってる(※)と思います。

「王の帰還」に押される形でもうすぐ映画公開が終わるので、ネタバレ有で感想書きます。「やめてくれ、これから観に行くんだ」という方が万一おられたら、この先閲覧はお控えを…
(実際のところ、ネタバレしても映画の本質を損ねる訳ではないのですが、一応念のため)

この映画、随分感動作として持て囃されてるようですが、キャラ設定に致命的な弱点が。どこが?=主要人物の一人・ジミー(ショーン・ペン)がムショ上がりの半悪党という部分。この設定のせいで彼の「娘を殺した(らしい)相手を殺す」行為が安っぽく感じました。「ああ、やっぱり悪党は復讐の手段に殺人を選ぶんだな…」とキャラとの隔絶感が生じて。あと、殺人事件の真犯人のオチ。少年時代の事件関係ないやん! どうにか絡めようよ。

「少年時代のあの事件」を起点にしてジミー、デイヴ、ショーン(ケビン・ベーコン)が何故25年後に今の彼らになったのか、もう少し説得力のある描写も必要だった気がします。あそこを起点にした割にデイヴ以外が何故ああいう人生を送ったのかの意味が少し薄い。あの辺りをきっちり組み上げて絡めてたのなら、もっと良質の脚本になったと思うけど…

俳優の演技、映像の積み重ね共に良質だっただけに、脚本の違和感が気になりました。あのような「時間の流れ」を描く映画には引いた視線で観る「語り部」的キャラが必要です。この作品の宣伝文句にある「スタンド・バイ・ミー」、あれのゴードンのようなキャラが。

(※)=激しく間違ってる理由。
「スタンド・バイ・ミー」は少年時代の仲間との交流を様々なエピソードを交えて綴りつつ、「今はもう仲間と会えない」という時の流れの悲哀・少年時代の新鮮な感覚との対比が鍵。

本作はデイヴが「少年時代の傷」を引き摺り、ジミーが「空白の25年」のツケを「娘の死」で支払う羽目になり、ショーンが(どういう経緯か不明だが)過去から逃げ、投げやりな日常に身を投げる…といったバラバラの状態から「ジミーの娘の死」によって引き合わされる話。

前者は「帰らない過去」に比重が置かれ。後者は「消せない過去を引き摺った現在」に対し比重が置かれている話。起点は少年時代だけど、中心とするものがかなり違うんですよ。要するに「スタンド〜」は少年時代独特の空気を色濃く描き、ラストで現在のゴードンを描く構成のため全世代的に楽しめる可能性を持つ映画だけど、「ミスティック〜」は過去という不可抗力・重荷に縛られながら生きる世代じゃないと感動を覚えにくい映画。そういうこと。

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投稿者 shizune : 2004年02月08日 21:45

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