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2004年05月08日
「CLANNAD」ネタバレ感想(第三回)
カテゴリー:CLANNAD・感想昨日の第二回の続きで、キャラ個別感想を。…実は、まだ話の本筋(渚シナリオ)で重要じゃないキャラだったり(^^;
○春原 陽平/芽衣
春原という面白おかしく頭の悪い(けど何だかんだでいいとこある)男が何であんなアホでヘタレになったのかを妹・芽衣を通して語るという構図。ベタと言えばベタですが、春原の性格付けと過去の出来事・シナリオ中のイベントがうまく絡み合っていい感じのシナリオに仕上がってます。春原も朋也もスポーツ特待生ながらその道で挫折してしまった似たもの同士、なるほど。お互い全然似てないキャラなのに常につるんでる理由がきちんとある訳ですな。
芽衣が実家から出てくるタイミングとGW連休がもっと噛み合えば理想的ですが、それだとサッカー部絡みが話を進めにくくなるという気もします。うーん、結構スケジュール面で絶妙の噛み合わせなのね。然しそれだけ頑張って兄のところに来た芽衣が兄貴の現在のヘタレっぷりを知ってしまうというのは一寸可哀想な気もしますが、人生ってなかなか思うようにはいかないものですね。これで芽衣と恋愛EDがあったら驚愕ものですがw
更に言えば、ここで早苗さんを春原の相手役に持ってきてああいったイベントを書き足すことで、早苗さんのしっかりお母さんぶりも見れるお得シナリオだったり。オプションとして、芳野絡みの選択肢次第で芽衣と芳野のご対面なんてイベントも。早苗さんにしても芳野にしても一見些細なイベントですが、包括的な繋がりを作る上では有効に機能してるんじゃないかと思います。春原でさえこれだけシナリオが機能してるというのに、それなりに主人公と距離の近い藤林姉妹のシナリオときたら…(ry
○一ノ瀬 ことみ
良くも悪くも鍵系定番シナリオ・キャラ造形といった感があることみシナリオ。「主人公にとっての家族問題」さえ捨象すれば単体シナリオとしての纏まりはベストかも(逆に言うとことみの「家族」ばかり描いてて、朋也の家族の問題とか放置してる困ったシナリオ)。
楽しみにしてた誕生祝・パーティーを与えられないまま亡くなった両親のことをもっと深く理解したくて、必死に本を読み知識を身に付けて知性面では両親との距離を埋めた感のあることみ。だけど両親の愛は多忙な中でも常にことみに向いていて、それを示したのは遺品であるスーツケースと中に入った修繕だらけの縫いぐるみ、そして様々な言語で書かれた「縫いぐるみをことみに届けたい」という願い…
主人公の過去を掘り下げたのは良かったけど、もう少し主人公をことみの両親に馴染ませて、「家族」に対する過去でのトラウマを強めてみたらどうなっただろうと欲張りな意見を出したくなるのですが、ことみのお誕生会に出向いてアレだったら、それだけで十分トラウマかも…そう言えば、ことみの留学話って結局どうなったんだっけ?(やっぱり立ち消え?)
<これ以降、Afterでも色々関わる人たちのシナリオ>
○幸村 俊夫
はみ出し者の主人公達の最大のフォロワーであり、伊吹公子の恩師でもある結構重要な人。といっても作中では小間使いのような呼び出され方だったりしますが、まあそれはそれ。このご老体EDそのものは然程重要ではない気もするのですが、このような「見守る大人」を随所に配置してるのが鍵系過去作品と「CLANNAD」の大きな違いではないでしょうか。
過去作品では半ば壊れ切った世界・人格が綻びて完全に壊れ切り、その後再生する。その情景を描くことでプレイヤーを泣かせるような作風を取っていたのですが、「CLANNAD」では厳然と存在する社会での落伍者が人と関わりを広げることによって自分の地位・人間性を再発見する。特に明示的に何かしてくれたところを見せてくれる訳ではないのですが、校内の落伍者だった朋也と春原をきちんと卒業させようと陰ながら奮闘してくれた幸村老人のような、或は早苗さんのような「大人」が見守ってるという構造なんですね。
この老人のエピソード自体を見ても「家族」に対する思いを地味ながら描き出すエピソードになっており、作り手の視点の変化・成長を見る意味で重要なキャラの一人といえます。願わくは幸村先生の老後に幸多からんことを…
○伊吹 風子/公子
シナリオ的に一纏めになってるので、ここでも二人一纏めにしてコメントを書きます。風子はある意味「Kanon」の月宮あゆに似た造形の存在。意識を取り戻さないまま病床に就く少女の「願い」が具現化したキャラ。そして彼女の現実での目覚めを待ち、自分の人生を停滞させている姉の公子。二人に人生の前進を取り戻されることで、朋也も自ずと人生を歩めるようになる、という構図ですな。
Afterで二人の(主に公子の)イベントを経験してから単体シナリオを見返すと、伊吹姉妹の立ち位置の違い、芳野の存在感、色々違いがあって面白みは出てくるんですが、同時に思うのは「風子(非After)シナリオの終わり、あれでいいの?」という疑問。何か収まりの悪さというか、主人公の半端な立ち位置に不安を感じてみたり。
姉の公子は妹のことを気にかけて自分の人生・幸福を止めてしまっている人で、「肉親の存在を重く受け止めている」という意味では大人と言えなくもないのですが、(妹が意識を取り戻さないがゆえに)自分の幸福を半ば犠牲にしている時点で大人になりきれていない存在とも言えます。
○芳野 祐介
Afterでは主人公を職場で見守る「大人」の一人でもあり、公子の婚約者(正式にはしてないみたいだけど)でもあり、春原兄妹の憧れ的アーティストでもありと様々な顔を持つ人。(他にもアーティスト時代に勝平達と対面し、影響を与えていたり与えられたり)
「人はこうやって大人になっていく」というある意味極端なモデルとして登場してますが、過去の彼(アーティスト)と現在の彼(公子の恋人、一社会人…)との断絶、その再融合を経て、彼もまた自分という人間を前進させていくようです。そんな彼の繋ぎ役として関わるのが、若さに任せ二人手を取り合い希望を胸に日々懸命に過ごす「朋也と渚」って辺り、お節介な絵空事ながら気持ちのいい前向きな世界観を提示してていいんじゃないかと思いました。
若い頃の趣味を犠牲にして社会人として日々を懸命に生きるのは割と自然なことなんですけど、それを当たり前として終わってしまうと少し寂しいじゃありませんか。仕事も頑張る、趣味も頑張る。現在も幸せ、過去も幸せ。どちらも抱えて生きていきたい、そんな希望を持たせる存在…というのは言い過ぎかなぁ。
○岡崎 直幸
主人公の父親。主人公が何故あそこまで父親を毛嫌いしてるか、描写ばかりが先行して分かりにくい部分もあるんですが、私思うに「独り立ちしたい主人公の焦り」だとか「ひとり息子を可愛がる余り愛情が裏目に出た」とか、「大人に対する失望」だとか(仕事を転々としてしまい、生活が苦しくなったみたいな描写とかありますし。やっぱり、子供って何だかんだ言って父親には堂々としてて欲しいんですよね)様々なものが重なった結果、主人公は一番身近な大人=父親を嫌悪したのかな、と。
そんな父親と主人公が和解できる状況…主人公が若き日の父親と同じ境遇に立った時。そこで彼の母親=祖母から事情を聞かされて自分の現状を見つめ直すという話の展開が何とも痛ましい限りであり、作品としての完成度・整合性を高めるのに役立ったり。(「AIR」のような閉ざされた、突き放された中での「家族の絆の再確認」とは違い、早苗さんなり直幸の母なりが裏方的に支える中で果たされるのが「CLANNAD」流)
男手ひとつで子供を育てようという志そのものは素晴らしいことなのですが、日本社会は未だ家庭・家族の犠牲の上に繁栄を成立させている感があり、自らの利益を社会の基盤たる家庭に還元しきれていない感があります。直幸のような(妻に先立たれる)不幸と環境に潰される人間が一人でも少なくなりますように…そんな願いを実感できる年齢になっていこうとしています、私も。
※あと、古河親子が残ってますけど、それはまた次回(まだ引っ張るのかよ!)。
○幻想風景について
鍵系作品独特の異世界エピソード挿入ですが、私はこれを「主人公が母性への渇望から離脱し、ひとりの人間として自立できるまでを描くメタファ」だと読み取りました。
「彼女」が亡くなった母親を意味する存在で、「僕」という作り物の存在が主人公。主人公が母親のいる世界に降り立っても、母親のいる世界は現実ではありませんから、幻想世界に完全な形で存在できるのは「主人公が思い描いた」彼女ひとりだけです。そして彼が母親を求めすぎることによって父親と不和になり、進路もどうでも良くなり、ひいては一旦立ち直った際付き添い支えてくれた伴侶・渚さえ失ってしまうと。こうすれば「CLANNAD」という作品の描くもの・構造が少し見えてくるんじゃないかと。
で、「光の玉を集める」ということは人の幸せを知ることであり、人が社会とどう向き合うかを体験することであり、主人公が母性に飢えた子供から「大人」に成長する過程であると。ゆえに光の玉を全て集めることで漸く渚が母子共に健康という終幕を迎えられる構成を取った。
…不完全で偏ってるとは思いますが、こういう解釈はどうでしょうか?>読まれた方
投稿者 shizune : 2004年05月08日 23:14
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